東急グループの礎を築いた人々
渋沢栄一・矢野恒太・小林一三
実業家。約500の企業や約600の団体の設立などに寄与。
「日本資本主義の父」とも呼ばれる
渋沢 栄一(しぶさわ・えいいち)
1840~1931年
理想の「田園都市」を構想
東京中心部の住環境悪化を憂慮した渋沢は、欧米諸都市の視察をもとに、近郊に自然と都市の長所を併せ持つ理想の街「田園都市」をつくることを構想。1915(大正4)年に、東京商業会議所(現・東京商工会議所)の当時の会頭や日本橋の商人たちと共に「田園都市株式会社」を立ち上げた。これが、東急グループの原点となる。
第一生命保険の創業者。
「相互会社の産みの親」とも呼ばれる
矢野 恒太(やの・つねた)
1866~1951年
資金面からサポート
田園都市株式会社の設立発起人たちは、田園都市の要となる鉄道事業に着手した。ところが、その直後の1920(大正9)年、第一次世界大戦の戦後恐慌が日本を襲う。打撃を受けた田園都市計画と鉄道事業の立て直しのため、渋沢は資金調達に奔走した。その思いに応えたのが、矢野だった。第一生命が新たな筆頭株主となり、資金面から計画を支えた。
阪急電鉄等の創業者。
「私鉄経営モデルの祖」とも呼ばれる
小林 一三(こばやし・いちぞう)
1873~1957年
鉄道部門のアドバイザー
なかなか思うように進まない鉄道部門の経営のアドバイザーとして、矢野は、関西で鉄道を軸とした郊外型住宅地を手掛けた小林を田園都市株式会社に紹介した。月一度上京し、同社の経営会議で意見したが、やはり実務を進めてくれる人物が欲しい。そこで彼は、自分に代わって実行できる経営手腕を持った人物として、鉄道院出身で既に鉄道会社の経営にあたっていた五島慶太に白羽の矢を立てた。