- 「東横の伝言板」へ
神奈川県相模原市 Wさん(54歳)
天国からのメッセージ
もう38年も経ちますね。私は渋谷の高校に通っていました。携帯電話もない時代、あなたは強い味方。待ち合わせといえば「東横伝言板」、あなたの元でした。友達と待ち合わせたり、渋谷で働いていた父と待ち合わせたり。けれど、高校1年の冬、突然父が亡くなって、父との思い出の残るあなたの前を通るのさえつらくなりました。「私に未来はあるのかな」ある時、私はつい、あなたにそんなひとりごとを書き残し、学校へ向かいました。無職の母に、幼い妹。高校中退も覚悟していました。帰りにふと見ると、まだ残る私の言葉。そして、その下に「大丈夫だよ」というメッセージ。私はいつまでもその文字を見つめ、涙を止めることができませんでした。伝言板さん、あのメッセージは、待ち合わせ中のどこかの誰かが書いたんでしょう?それとも、東横線の駅員さん?私に天国の父から、伝言が届いたように感じました。本当にありがとう。今、幸せです。
- 優しいお姉さんへ
神奈川県川崎市 Nさん(61歳)
ペンギンの赤ちゃんのぬいぐるみ
30年程前、生まれて間もない娘を抱き、2歳の息子の手を引いて、宮崎台駅に帰って来た。電車を降りて南口に出た所で息子が突然泣き出して、歩かなくなってしまった。「すぐお家に着くよ。頑張ろう」と励まして、とにかく歩かせようと私は必死だったのだろう。そこに、20歳位のお姉さんが「このペンギンをあげるから、頑張って歩こうね」と言って、息子に真新しいペンギンの赤ちゃんのぬいぐるみを渡してくれた。息子はポツンと泣き止んで嬉しそうにペンギンの赤ちゃんを抱きしめて歩き出した。お姉さんに「あなたの買った大切な物だから、貰うわけにいかない」と言ったのだが、お姉さんは「どうぞ貰ってください」とニコニコして立ち去っていった。そのペンギンは『ペンちゃん』と名付けられ、子供達の大切な友達になった。まだ、あのお姉さんは、この沿線に住んでいるのだろうか。感謝しかない幸せな思い出です。本当にありがとうございました。
- 同じ車両に乗っていた方々へ
兵庫県西宮市 Oさん(39歳)
やさしさでいっぱいのカバン
就職活動で東急線を利用していた時のことです。もともと鼻血が出やすい体質の私。運悪く列車内で鼻血が出てしまいました。ハンカチで鼻をおさえながらカバンのティッシュを探していると、前の席に座っていた女性がポケットティッシュを差し出してくださいました。それを見て私の隣に座っていた年配の女性が、ポケットティッシュと血がついたティッシュを捨てるためのレジ袋をくださいました。近くにいた赤ちゃん連れのママさんからは、血がついた手などを拭くためのウエットティッシュをもらうなど、その後もたくさんの方からティッシュをいただきました。気が付くと、私のカバンはポケットティッシュでいっぱいに。みなさんのやさしさがたくさん詰まったカバンを持って、その後面接を無事に受けることができた私。鼻血が出たことと恥ずかしさでうまくお礼を言うことができませんでしたが、たくさんの方に「ありがとう」と感謝の気持ちを伝えたいです。
- 日吉駅の駅員さんへ
東京都清瀬市 Kさん(38歳)
あの時のあの言葉
日吉駅の駅員さんへこの度僕は医学部を卒業しました。思えば九年前。浪人が決まった僕に声をかけてくれたのがあなたでした。あの時は悔しくて、どうしようもなくて、ホームでずっと泣いていました。合格通知を手にした学生が次々と帰路につく中僕だけはその場を離れられませんでした。何時間泣いたかもわかりません。何度電車を見送ったかも。しかしそんな僕にあなたは「どうしましたか」と声をかけてくれました。僕が不合格のことを話すとあなたも五浪したエピソードを話してくれました。そして最後にこう言ったのです。「でもね夢があったから諦めなかったよ。大事なのは何回挑んだかじゃない。どんな気持ちで挑んだかだよ」途端に勇気が沸きました。たとえダメでも挑むことには意味があると思えました。今後は不治の病を治せる医者になりたいです。あなたなら言ってくれるでしょうか。大切なのは医者になることじゃない。その先にある患者さんの笑顔だと。
- 私達にたくさんの温かさをくれた東急線で出会った皆様へ
神奈川県相模原市 Mさん(37歳)
たくさんの優しさで溢れている東急線は私の育児の支え
車内で娘がぐずり泣き出し何をしても効果がなく、泣き声は大きくなる一方で焦っていた時「眠たい?お腹すいたかな?」と男性が娘に話しかけてくれました。周りの方もあやしてくれたお陰ですっかり泣き止み降りる際にお礼を言うと、先程の男性が「ママお疲れ様!」と飴を渡してくれました。実家が遠く頼る人がいない中での初めての子育てで張り詰めた気持ちも相俟って涙が込み上げてきました。今まで食べたどの飴よりも美味しく、この出来事は私の育児の支えになっています。妊娠中席を譲ってくれたり、私たち親子に笑いかけてくれたりと、東急線はたくさんの温かさで溢れています。そんな娘は電車に手を振るのが大好き!車掌さんが手を振り返してくれると飛び跳ねて喜び「みんな優しいね」が口癖です。皆様からいただいた優しさが娘に伝わっていることを実感し、東急線での一期一会に感謝です。皆様ありがとうございます。感謝の気持ちでいっぱいです。
- 学芸大学の駅で声をかけてくださった方へ
東京都豊島区 Nさん(37歳)
雨の日の贈り物
急に決まった引越しで、娘は家から1時間かかる保育園に電車で通うことになりました。毎日仕事も忙しく、会社でも家でも休む間もない日々。保育園からの帰り道、大雨でびしょびしょになってしまった娘を抱きながら、「一回降りてね、濡れちゃったから拭こうね」とタオルを探しますが、会社の荷物と保育園の荷物でいっぱいで、なかなかタオルが見つかりませんでした。この後また電車に乗るのか…と暗い気持ちになっていた時、声をかけてくれたのがあなたでした。「あらあら、びしょびしょねぇ」ふと顔をあげると、娘を見ているご婦人。こんなに濡れて可哀想と言われてしまうかな、とドキドキしていると…「まだ使ってないから、よかったら使って。」綺麗なタオルハンカチを差し出して下さったのです。「ママ、いつも頑張っててえらいね。無理しないでね」涙をこらえるのに必死でした。あなたのおかげで、これからの頑張るパワーをいただきました。
- 東横線電車内で親切にしてくださった方へ
東京都大田区 Fさん(49歳)
大事にしてくれてありがとう
地方から上京してきて、まだ間もない頃の出来事です。生後6ヶ月の息子を抱っこひもで抱っこして東横線に乗車。まだ、混み合う電車の時間帯や満員電車などもみたことがなかったので、乗車した電車が混み合ってきて、一度降りた方がいいのか困っていました。そこへ、お一人の紳士が察して下さったのか、この電車は今から混んできます。よければ、座席に座ってと席をお譲りいただき、なおかつ座席の前で満員電車から守って下さいました。その方の周りの方も抱っこしている息子がつぶれないように配慮してくださり、上京してママになったばかりの私に、電車で親切にしていただいたことで、東京で子育てをしていくことに明るい未来が見えた出来事でした。それ以来東急沿線に住まいを構えております。今はその息子も大学生、今度は私が困っている方を助ける人にそして息子も助けられる人になって欲しいと思います。
- 桃の花を届けてくださったあなたと、やさしい駅員さんへ
東京都品川区 Sさん(47歳)
桃の花を届けてくださった、やさしいあなたへ。
桃の花を届けてくださった、やさしいあなたへ。ありがとうのお手紙です。4年前のひなまつりの日、西小山で桃の花と黄色いチューリップ、ちらし寿司と両手いっぱい買い物をして、お祝いの準備をしないと。と、電車で急いで帰宅。あ!忘れた。。駅のホームのベンチだ。電車が来るまで、お花を置いたんだった。次の日も西小山へ用事があり、もう無いよね。と半分あきらめながらも、駅員さんに聞いてみると、白い紙に包まれたお花をバケツの水につけて置いてくれました。ありがとうございます!とても、あたたかい気持ちになりました。帰宅して娘に話すと、とても喜び、なんだか娘のことも大事にしてもらったような気持ちになりました。毎年、桃の花を飾ると、あなたのやさしさを思い出します。大事に預かってくださった駅員さんのことも。あれから4年。娘は中学生になり、毎日元気に東急線で通学しています。本当にありがとうございます。
- 私に焼き芋を渡してくださった老婦人へ
神奈川県横浜市 Hさん(39歳)
目の前が真っ暗だったあのとき、まごころをくださったあなたへ
あれはもう、10年近く前のことでしょうか。そのとき、私は東急田園都市線の藤が丘駅前にいました。2歳の、イヤイヤ期真っ只中の娘がベビーカーから降りてくれず、途方に暮れていました。「早くしてよ!」と声を上げ、周りの視線を気にする私。そのときに声をかけてくださったのが、あなたでした。「あらあら、お母さんえらいわねぇ」「大変ね」ではなく、娘をあやすでもなく、ただ私を褒めてくださったあなたは、持っていた茶色の紙包みを「これ、おいしいのよ」と私に握らせました。あっという間のことで、私は自分が何を言ったのか覚えていません。でも、その後乗った電車内の片隅で、一口だけこっそり食べた焼き芋の温かさを、私はこれからも忘れないでしょう。いつか、困っている若いお母さんを見かけたら、そっと褒めてあげられる人になりたいと。私はあなたにバトンを渡されたつもりでいます。
- 東横線で会ったおばあちゃんへ
埼玉県所沢市 Kさん(38歳)
おばあちゃんのエール
車内で会ったおばあちゃんへ。私は東横線に乗ると今もあなたを思い出します。あれは二年前渋谷に向かう車内で1歳の息子が泣き出しました。私が上下に揺さぶるとその号泣はさらに激しさを増して。「静かにさせろよ」という怒号も聞こえてくるほど。私が「次で一旦降りよう」と思っていた時でした。あなたがこちらをふり向いて言ったのです。「おばあちゃんもね、このあと手術があってね。ちょうど泣きたい気分だったの。だからおばあちゃんの分まで泣いてくれるかしら」泣きたいくらいつらい時に泣きたいくらい嬉しい言葉。私は思わず目頭が熱くなりました。確かに育児は一筋縄ではいきません。それでも誰かに泣いていいよと言われたら。親も子も少し楽になれる気がします。渋谷で降りるとあなたは手を振りました。その手のひらが応援のフラッグに見えて、また泣いてしまいました。本当にありがとうございました。